遠い日の記憶。
おはようございます😃
いつもご訪問ありがとうございます😊
さて、今日はちょっと昔話を聞いてくださいね←あんた、いつもだろうって言わないでくださいね😅
だってコロナで目新しいことがないんだもの…(⌒-⌒; )
小学生の頃、パンチパーマの父が恥ずかしかった。
北島三郎みたいなパンチパーマ。
父は職人だったからその髪型が楽だったのだろう。
昭和だったから田舎にはパンチパーマの人は割といた。
高校の担任の先生は私の恩師ランキングに上位で登場する、とても情があって、生徒目線の先生だった。
ある時先生が生徒を前にこう言った。
「先生は子供の時、職人のお父さんが恥ずかしくて、白いワイシャツを着る仕事につこうと思った。」
そのセリフを他の言葉は忘れても今でも覚えている。
家に帰ってから母に言ったら、
母は
「先生それはちょっと違うけどなぁ……」と。
そっか…それはちょっと違うのか…私はまだ17歳だった。
先生もまだ26歳だったし、先生はただ自分の気持ちを言っただけで、自分は目標をこう定めてこう進んだいうことを、ただ伝えたかったのかもしれない。
でも、当時同じ気持ちを抱えていた私には印象深い言葉だった。
あの頃は私は子供だった。
だから父がどれだけ頑張って生きてきた人間なのか、ということに気づいてなかった。
以前ブログに書いたけど、私は子供の頃に実母を亡くしていて、幼少期は父が仕事をしながら母親代わりもしていた。
祖母も手伝ってくれて、伯父の家に預けられたりもしていたけど、父は大変だったと思う。
そして料理もなかなかうまかった。
鉄のフライパンで焼いた焼飯や、牛肉と玉ねぎを炒めて卵でくるりと巻いたオムレツは絶品だった。
kinoko家の食卓に今もたまにこの牛肉オムレツは上がる時があって、うちの2人になかなか好評だ。
話はそれてしまったけど😅
今、父は年齢的には若いんだけど体はかなり弱っている。
週に1度、手伝いに帰っているんだけど、弱っていく姿を見るのが気持ち的に重くて帰るのが辛い時もある。
そんな時に私は元気だった父のひたむきな姿を思い出すようにしている。
食卓に座る小さな私と兄。
父が作ったオムレツ、お味噌汁にご飯。
そうすることで、
お父さん帰ってきたよ〜っていう気持ちになれるのだ。。
さて昨日は息子と山歩きに😄
ポカポカしていて気持ちが良かったので。
ところが…
当たり前だけど杉がたくさん
(⌒-⌒; )
息子、帰るで❗️
杉から一目散に逃げてきました😅
帰りにういろうを買ってきておやつにしました。
おいしかったなぁ。